東京地方裁判所 昭和62年(ワ)7275号 判決 1988年6月23日
原告
岩﨑筆吉
被告
東京都
右代表者知事
鈴木俊一
右指定代理人
田中庸夫
同
渡辺邦彦
被告
大島町
右代表者町長
植村秀正
右指定代理人
白井直次
同
柳瀬嘉久雄
同
川島伊勢男
同
山田与志昭
主文
一 被告東京都は、原告に対し、金三万円及びこれに対する昭和五八年五月五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告の被告東京都に対するその余の請求を棄却する。
三 原告の被告大島町に対する請求を棄却する。
四 訴訟費用中、原告と被告東京都との間に生じたものはこれを一〇分し、その九を原告の、その余を被告東京都の各負担とし、原告と被告大島町との間に生じたものは原告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告東京都は、原告に対し、金三三万七〇〇〇円及びこれに対する昭和五八年五月五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 被告大島町は、原告に対し、金一万三〇〇〇円及びこれに対する昭和五八年五月五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は被告らの負担とする。
二 請求の趣旨に対する被告らの答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
3 担保を条件とする仮執行免脱の宣言
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 原告は、電気工事、水道衛生工事等を業とする有限会社岩崎電気水道工事店の代表取締役である。
2 原告は、昭和五八年三月一六日、同年四月一〇日施行の東京都知事選挙に立候補届出をした。
3(一) 原告は、同年三月二〇日午後一時ころから、東京都大島町内において、東海汽船バス停留所前(元町一―一六―一)、善菓子屋前(元町二―一〇―四)、町役場建設場所(元町一―一―一四)、元町小学校グランド人口横(元町字家の上四六一―一)カネ又横(元町四―九―五)の各ポスター掲示場に順次選挙用ポスターを掲示したが、掲示場所が必要以上に高かったため何度も跳び上がらないとポスターが掲示できなかった。
(二) 右は選挙活動の自由を妨害するものであり、ポスター掲示の困難な掲示場を設置した被告大島町(以下「被告町」という。)は、原告に対し、第一次的には国家賠償法により、第二次的には民法七〇九条、七一五条により、慰藉料として金一万三〇〇〇円の損害賠償義務がある。
4(一) 原告は、前同日午後七時二〇分ころ、ポスター掲示のため大島町岡田の電話交換局付近歩道(都道)を通行中、被告東京都(以下「被告都」という。)が検査用供試体を採取したまま放置していた直径一〇センチメートルの穴に原告の靴が入って転倒し、これにより右膝関節部挫創の傷害を負い、かつその際上着ポケットに入れておいた老眼用メガネを紛失した。
原告は、右の受傷により選挙運動の中断を余儀なくされ、翌三月二一日帰宅し、同月二二日から同年四月一日まで前田外科医院(東京都東久留米市中央町五丁目一三番三四号)で通院加療を受けた。
(二) 上記転倒による原告の損害は以下のとおりである。
(1) 休業損害 五万六三二九円
一日当り四三三三円(当時の月収一五万円)の一三日分
(2) 通院交通費 五四〇〇円
一回当りバス・電車代六〇〇円の九回分
(3) 治療費
内訳 売薬代(受傷当日支出) 二三九〇円
前田外科医院分(含証明料) 八九八〇円
(4) メガネ代 二万円
(5) 慰藉料 二四万三九〇一円
内訳 受傷によるもの 五万〇六〇〇円
選挙運動中断によるもの 一九万三三〇一円
以上合計 三三万七〇〇〇円
(三) 被告都は、前記道路の設置管理者として、原告に対し、第一次的には国家賠償法二条により、第二次的には民法七〇九条、七一五条により、右損害金三三万七〇〇〇円の賠償義務がある。
5 よって、原告は、被告らに対し、それぞれ請求の趣旨記載のとおりの金員の支払いを求める。
二 請求原因に対する被告らの認否及び反論
(認否)
1 請求原因1の事実は知らない。
2 同2の事実は認める。
3 同3(一)の事実のうち、原告がその主張の五か所の掲示場にポスターを掲示したことは認め、掲示場所が必要以上に高かったこと及び何度も跳び上がらないと掲示できなかったことは否認し、その余は知らない。
同3(二)の主張は争う。
4 同4(一)の事実のうち、電話交換所付近の歩道(都道)に検査用供試体を採取するためにあけた穴(直径一〇センチメートル)があったことは認め、原告が右穴で転び負傷したことは否認し、その余は知らない。
同4(二)の事実は知らない。
同4(三)のうち、被告都が当該道路の設置管理者である事実は認め、その余の主張は争う。
5 同5は争う。
(反論)
1 選挙の自由妨害の主張について
大島町選挙管理委員会は、当該選挙に際し、東京都選挙管理委員会の指示により四一箇所の公営ポスター掲示場を設置したが、右各掲示場の掲示板の大きさは、下限を地上概ね九〇センチメートルとし、縦一三四センチメートル、横三一〇センチメートルとするものであった。そして、各掲示板には、上、中段にそれぞれ六区画、下段に七区画の各候補者のポスター掲示箇所を設けたが、原告のポスター掲示箇所は、抽せんの結果、上段向かって左から三番目に決定された。その高さは、下限が地上約一八九センチメートル上限が約二二四センチメートルであった。
本件掲示板が右のような高さに設置されるよう定められたのは、下段のポスターが見にくくなく、かつ降雨の際にも汚れないようにとの配慮によるもので、全く合理的な措置であり、また原告のポスター掲示箇所が前記の箇所になったのも抽せんの結果であるから、これまた合理的な方法によるものである。
したがって、原告の主張は全く理由がない。
2 道路の管理瑕疵の主張について
供試体は、道路舗装工事の際、舗装の厚さ及び舗装材料の締め固めの程度等を検査し、施行の善し悪しを判定するために採取するもので、これを採取した穴は、一般的に工事竣工検査時点まであけておき、工事竣工検査員の確認を受けた後、舗装材料を用い埋めているものである。
原告主張の岡田電話局付近の都道は、当時約一二〇メートルにわたって拡幅工事が行われ、右供試体採取のための穴が数か所あけられていたが、この穴は直径一〇センチメートル、深さ三センメチートルのものに過ぎず、経験上成人に危険を生じさせることが予測されないものであって、現にこれまでの道路工事において同様の事故が発生したことは全くない。したがって、工事竣工検査終了までの一時的期間右穴をあけていたことをもって道路の設置管理に瑕疵があるとはいえず、原告の主張は理由がない。
なお、原告が右穴のため負傷したとする当時、被告都も、工事請負人も、原告から負傷云々について何らの申入れも受けていなかった。
第三 証拠関係<省略>
理由
一被告町に対する請求について
1 原告が昭和五八年四月一〇日施行の東京都知事選挙に立候補届出をしたこと(届出日同年三月一六日)は当事者間に争いがない。
2 <証拠>によれば、原告は昭和五八年三月一九日選挙用ポスターを貼る目的で大島町に赴き、翌二〇日午後一時ころから順次請求原因3に記載の五箇所のポスター掲示場に選挙用ポスターを掲示したこと(右ポスター掲示の事実自体は当事者間に争いがない。)、ところで、被告町が設置した右各ポスター掲示場の掲示板は、下限が概ね地上九〇センチメートルの高さに位置し、縦一三四センチメートル、横三一〇センチメートルの大きさで、上、中、下の三段にそれぞれ六、六、七区画の各候補のポスター掲示箇所が設けられていたこと(区画線の幅は二センチメートル)、したがって、上段の掲示箇所の高さは、概ね上限が二二二センチメートル、下限が一八〇センチメートルであったこと、大島町内における各候補者のポスター掲示箇所は抽せんで決定されたが、原告のそれは右抽せんの結果上段となったこと、以上の事実が認められる。しかるところ、右本人尋問の結果によれば、原告の身長は概ね一六四センチメートルであることが認められ、そうとすれば、経験則上原告が背伸びをしたとしても右上段の所定の掲示箇所の上限である二二二センチメートルの高さには手が届かないと推認される(届く高さは概ね二一〇センチメートル程度までではないかと思われる。)から、被告町が設置した右各ポスター掲示板は、仮に道具一切を用いないとすれば、原告主張のとおり「跳び上がらないとポスターが掲示できない」ものであったということができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
しかしながら、そうであるとしても、右掲示箇所の上限の高さは、せいぜい一〇ないし一五センチメートルの踏台もしくはこれに準じるものを使うか、同程度の長さのある用具を使用すれば容易に届く高さであり、そのような手段方法をとることもまた極めて容易であるから、右掲示板の高さをもって、ポスター掲示が困難なものとか、選挙活動を妨害するものとかいうことは到底できないのみならず、<証拠>によれば、前記掲示板の大きさ及び高さは、東京都選挙執行規程及び東京都選挙管理委員会の作成した昭和五八年度統一地方選挙事務提要に従い、かつ設置場所の広さ、ポスターの見易さを考慮し降雨時のポスター汚損に対する配慮もなしたうえ決定されたもので、合理的かつ必要性のあるものと認められるから、原告の主張は理由がない。
3 よって、原告の被告町に対する請求は、国家賠償法に基づくものとしても、民法七〇九条もしくは七一五条に基づくものとしても、その余の点につき判断するまでもなく理由がない。
二被告都に対する請求について
1 <証拠>によれば、原告は昭和五八年三月二〇日午後七時二〇分ころ、選挙用ポスター掲示のため大島町岡田地内岡田電話交換局付近道路の南西側歩道(以下「本件道路」及び「本件歩道」という。)を岡田方面から元町方面に向かい歩行中、右歩道上に存した供試体を採取した跡の穴(直径一〇センチメートル)につまづいて転倒し、右膝関節部挫創の傷害を負ったことが認められる(右穴の存在自体は当事者間に争いがない。以下「本件事故」という。)。
被告都は、当時原告から同被告や工事請負人に対し何らその旨の苦情が申し入れられてなかったと主張するが、そうであるからといってただちに右事故発生を否定することはできず、右認定を覆すに足りる証拠はない。
2 本件道路が被告都の管理する都道であることは当事者間に争いがない。
3 そこで、本件道路の設置管理に瑕疵があったか否かについて判断する。
<証拠>によれば、以下の事実が認められる。
(一) 被告都は、本件事故に先立ち、岡田電話交換局付近約一二〇メートルの区間にわたって本件道路の改修及び舗装新設工事を行い、右工事を請負った業者は、昭和五八年三月一〇日までにこれを完了した。
(二) 被告都は、工事の引渡しを受けるに先立って、同月二三日ころ竣工検査を行うこととし、請負業者は、被告都の指示に従い、本件事故発生の数日前、工事の完了した歩道部分の四か所、いずれも最も多く利用される歩道中央部分から直径一〇センチメートル、深さ三センチメートル(右工事は舗装の厚さを三センチメートルとして発注された。)の円筒形に工事完成したアスファルト舗装面を切り取り、これを供試体として被告都の検査員に提出した。このため、本件事故当時右歩道部分には右供試体と同一の大きさ、形状の穴が生じていた。
(三) 右竣工検査は、舗装工事に関しては、舗装の厚さ、材料の善し悪し、締め固めの状態等を検査し工事の合否を判定するもので、供試体そのものの検査とともにこれを採取した跡の穴の状況をも調べるため、被告都は検査終了まで右穴を存置させていたが、短期間であり、穴の大きさ、深さが前記の程度のものであるので、この間仮に穴を埋めておくなどの特段の措置を取るよう業者に指示せず、放置させていた。
(四) 本件歩道は幅員1.2メートル余りで、前記のとおり舗装工事が完了した直後であったから、供試体採取の跡の穴を除けば極めて良好に整備された状態にあり、本件事故現場付近には照明も設けられていた(但し明るさの程度は証拠上明らかでない。)。なお通行量も必ずしも明らかではないが、右のような工事がなされたこと自体から一定程度の通行量のある道路であることが推認される。
以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
右の事実によれば、本件事故の原因となった供試体採取跡の穴は、直径一〇センチメートル、深さ三センチメートルの小さなものではあるが、道路に自然に生じた窪みなどとは異なる人為的に作出された円筒形のものであって、通行人の爪先がこれにかかればつまづいて転倒する可能性の十分あるものであり、しかも本件事故当時歩道自体は舗装工事完了後の極めて良好な状態にあったから、一般通行人にとってはそのような歩道の中央部に右の如き穴が存在することは通常予測するところではなく、ことに夜間は多少の照明はあっても穴が小さいゆえにかえって気付きにくいものであったと考えられるから、右穴の存在はこれら道路状況下にあって一般歩行者に転倒の危険を生じさせるものであり、本件事故当時本件歩道は通常有すべき安全性を欠いていたというべきである。
被告都は、本件のような供試体採取(と採取跡の穴の存置)は道路舗装工事の竣工検査の際一般に行われているものであるにも拘らずこれまで同種の事故が発生したことはない旨主張し、伊東証人もその経験する範囲ではその種の苦情が寄せられたことはない旨供述するが、右供述のとおりであるとしても、本件の穴による一般通行人転倒の危険性の予測が不可能であるということはできない。
以上のとおりであるから、被告都は原告に対し、国家賠償法二条一項に基づき原告が被った損害を賠償すべき責任を負う。
4 次に損害について判断する。
(一) 治療費等 五八九〇円
<証拠>によれば、原告は本件事故当日大島町元町の薬局において治療のための薬品を代金二三九〇円で購入し、事故の翌々日である昭和五八年三月二二日から同年四月一日までの間に九日間、東京都東久留米市の前田外科医院に通院して治療を受け、その診断書交付のため三五〇〇円を要したことが認められる。
原告が主張する右以外の前田外科医院での治療費の出捐については、主張に沿う原告の供述は前掲甲第四号証に照らし措信できず、他にこれを認めるに足りる証拠がない。
(二) 通院交通費 五四〇〇円
<証拠>によれば、前記のとおり原告が前田外科医院に通院するために要した交通費は合計五四〇〇円であると認められる。
(三) 慰藉料 一万八七一〇円
本件事故により原告が受けた傷害は右膝関節部挫創であるが、これは要するに右の膝小僧をすりむいたというだけのものに過ぎず、しかも原告本人尋問の結果によれば、出血も「血が滲んでいました」という程度で、原告は右事故の後もポスターを二箇所ほど貼り続けていることが認められることに照らせば、右傷害は極く軽微なものと考えられ、受傷による慰藉料としては一万八七一〇円をもって相当とする。
(四) その他の損害の主張について
原告は、本件事故により休業損害を生じたと主張するが、右当時電気、水道工事等の仕事をして一か月約一〇万円の収入を得ていたとする原告の供述は曖昧で裏付けに欠け、採用できず、他に右主張を認めるに足りる証拠はない。
また原告は、本件事故によりメガネを紛失したと主張するが、弁論の全趣旨によれば、これを紛失したのが果して右転倒の際であるのか原告自身にも必ずしも明らかでないことが窺われるのであって、この点に関する原告の供述は採用し難く、他に右主張を認めるに足りる証拠はない。
さらに原告は、本件事故により選挙活動の中断を余儀なくされたと主張し、その旨供述するが、本件事故による受傷は前示のとおり極く軽微なものであって、選挙活動を続けられないような程度のものとは考えられないから、右供述は措信できず、他に本件事故と右選挙活動中断との間の相当因果関係を認めるに足りる証拠はない。
(五) 以上によれば、本件事故による原告の損害は合計金三万円となり、右認定を覆すに足りる証拠はない。
三よって、原告の本訴請求は、被告都に対し前記損害金三万円及びこれに対する本件事故発生の後である昭和五八年五月五日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、同被告に対するその余の請求及び被告町に対する請求はいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官三代川三千代)